三十歳を過ぎた冬のことを、今でも昨日のように思い出せます。東海精機に入社して十一年、私はずっと製造ラインに立っていました。機械油の匂いが染みついた作業着が、いわば私の戦闘服でした。ところが三十歳の春、一枚の辞令が私の日常を根底から変えました。「来月から営業部へ異動」——その文字を読んだとき、頭の中が真っ白になったことを覚えています。ネクタイの締め方すらおぼつかない人間が、取引先を訪ねて回ることになったのです。
最初の数年間は、本当に何も売れませんでした。訪問先のドアを開くたびに、胃のあたりが冷たく締め付けられるような感覚がありました。担当先のひとつに、県内の大きな自動車メーカーの工場がありました。そこの購買担当、岡田さんという方が私の壁となりました。私より十ほど年上のがっしりした体格の男性で、訪ねるたびに「うちは間に合っているから」と、玄関先で短く言い放つのでした。それでも私は月に一度、欠かさず通い続けました。断られることにも、帰り道の虚しさにも、少しずつ慣れていきましたが、慣れることと諦めることは違うのだと、自分に言い聞かせながら歩いていました。
何年も経ったある冬の日、いつものように応接室へ通されました。窓の外では枯れた木々が冷たい風に揺れていて、室内には岡田さんが書類をめくる乾いた音だけが響いていました。私は震える手で持参した部品の図面を広げ、「うちの新しい設備で、コンマ数ミリの精度が出ます」と口を開きました。声が少し裏返っていたかもしれません。岡田さんは長いこと黙ったまま図面に目を落としていました。その沈黙は、ほんの数分だったはずなのに、ずいぶん長く感じられました。やがて顔を上げた岡田さんは、「佐藤さん、よく三年も続いたな」とだけ言いました。そして少し間を置いて、「やってみるか」と。
工場を出て、社用車のドアを閉めた瞬間、涙が溢れて止まらなくなりました。誰にも見られないよう、シートに深く身を沈めてしばらく泣きました。情けないとは思いませんでした。ただ、長い時間をかけて積み上げてきたものが、ようやく形になった気がしていました。帰り道、ハンドルを握る自分の手が、初めて自分のものとして感じられたのを覚えています。夜、家に帰って妻に「やっと、仕事をしている気がする」と打ち明けると、妻は何も言わずに静かに笑いました。子どもたちはすでに眠っていて、家の中は穏やかに静まり返っていました。
岡田さんとはその後、二十年以上にわたる付き合いが続きました。互いに歳を重ねるなかで、仕事の話だけでなく、家族のことや身体のことも話し合えるような間柄になっていきました。私が定年退職を前に最後の挨拶に伺ったとき、岡田さんはすでに七十を超えていて、「俺もそろそろだよ」と笑っていました。あの冬の応接室の景色——書類をめくる音、窓の外の枯れ木、そして岡田さんの低く静かな声——は、今もはっきりと心の中にあります。あの日があったからこそ、その後の長い営業の日々を、私は誇りを持って歩き続けることができたのだと思っています。