家から歩いて五分ほどのところに、私たちが「鎮守様」と呼んでいた小さな神社がありました。石畳の参道を抜けて鳥居をくぐると、右手に大きな楠の木がそびえ立っていて、その根元に石のベンチがいくつか並んでいました。木漏れ日が揺れるその木陰を、私たちは「秘密基地」と呼んでいました。子どもが口にする「秘密」というのはたいていすぐに誰かに知れてしまうものですが、それでもその言葉には、大人の世界から少しだけ切り離された、自分たちだけの領域を手に入れたような誇らしさがありました。
そこに集まるのはいつも決まった顔ぶれでした。三つ年上の兄の浩二、近所のたけしくんとひろしくん、それから女の子の和子ちゃん。四人か五人で、ほぼ毎日のように顔を合わせました。学校から帰ると、ランドセルを玄関に放り投げて、誰が誘うわけでもなく、気がつけばみんな境内に集まっていました。示し合わせた記憶はないのに、いつでも誰かがいた。今思えば、その「当たり前」がどれほど温かなものだったか、と胸に迫るものがあります。三角ベース、缶蹴り、風の強い日には兄が知恵を絞って凧揚げをしました。兄はそういうとき、少し得意そうな顔をしていました。
夏になると、境内じゅうに蝉の声が満ちました。湿った土の匂いと、どこかの家から漂う線香の香りが混じり合って、あの季節だけに許された特別な空気がありました。楠の枝のあいだから空を見上げると、眩しいほどの青が広がっていて、蝉の声はまるで空の色ごと降り注いでくるようでした。冬が来れば落葉が足元でかさかさと鳴り、吐く息は白く空に溶けました。凍えながらも誰一人帰ろうとしなかったのは、あの場所にいること自体が、遊びそのものだったからかもしれません。
日が傾きかけた頃、坂の下から母の声が聞こえてきます。「健一ー、ごはんよー」。澄んだ夕暮れの空気をすり抜けて、少し間延びしたその呼び声は、境内のどこにいても不思議と届きました。兄と顔を見合わせ、最後にもう一回だけ缶を蹴って、それから二人で走って帰りました。家の前まで来ると、味噌汁の匂いがふわりと漂ってきました。引き戸を開ける前から、台所の温かさが伝わってくるような気がしました。
振り返れば、特別な出来事があったわけではありません。立派な遊びをしたわけでも、誰かに褒められるような何かを成し遂げたわけでもありません。それでも、楠の大木の下で誰かと肩を並べていた時間、夕暮れになれば迷わず帰れる場所があったこと、そのすべてが私の幼少期を形づくっていました。あの境内の土の匂い、蝉の声、母の呼び声——今でもふとした瞬間に蘇るそれらの断片が、私という人間の最初の記憶として、静かに胸の奥に刻まれています。