六十年、あゆみの記
めもいら
5章 / 全5
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今とこれから

 退職してから、二か月が過ぎた。三十八年間、毎朝ならしていたアラームを、今はもうかけていない。浜松の自宅で、妻の美智子と並んで目を覚ます朝は、不思議なほど静かで、最初のうちはその静けさに、どこか居心地の悪さを感じていた。あれほど望んでいた自由な時間が、いざ手元に来ると、扱い方がわからなかったのだ。それでも日々が重なるうちに、ようやくこの静けさを、自分のものとして受け取れるようになってきた。

 今の私の一日は、裏庭の畑から始まる。退職を決めた春先、ホームセンターで思い切って買った苗木が、ちょうど今、トマトとキュウリの実をつけはじめている。朝六時に起き、水をやり、雑草を抜く。土に触れていると、余計なことを考えなくて済む。それが良いのか悪いのかはわからないが、無心になれるこの時間を、私はいつの間にか大切にするようになった。ひとしきり畑仕事を終えると、台所でコーヒーを淹れ、縁側に出て空を眺める。雲の流れを、ただ眺める。三十八年間、こんな朝は一度もなかった。

 週に二度ほど、近所に一人で暮らす八十二歳の母のところへ顔を出す。買い物の付き添いや、細かな手仕事の手伝いをする。母はいつも「もう来なくていいよ、忙しいでしょう」と言う。退職した今、忙しいことは何もないのだが、それでもそう言ってくれる母の意地が、私はうれしくてならない。その言葉の裏にある、遠慮と愛情の混じり合った温かさを、私はちゃんと受け取っている。長女の由美は、地元の総合病院で看護師を続けていて、夜勤明けに時々うちへ立ち寄っては、冷蔵庫を物色しながら「お父さん、これもう古いよ」と言って捨てていく。その小言が、どこか懐かしい活気を台所に連れてくる。東京でIT会社に勤める長男の翔太は、月に一度ほど電話をくれる。受話器の向こうから聞こえてくる声は、会うたびに少しずつ大人になっていく気がして、安心と寂しさが同時に胸へ流れ込んでくる。

 これからどうなりたいか、と自分に問いかけると、大それた夢はなかなか浮かばない。ただ、静かに、しかし確かに思っていることがある。それは、「これまで誰かのために作ってきた人生」を、これからは少しずつ、自分の手で受け取り直したい、ということだ。家族のため、会社のため、誰かのために走り続けた三十八年は、振り返ればそれはそれで悪くなかった。けれど、退職してはじめて気がついた。私は「自分のために生きる」という感覚を、ほとんど持ち合わせていなかった。誰かの役に立つことと、自分を生きることを、ずいぶん長い間、混同していたのかもしれない。

 だからこそ、まずは小さなことから始めようと思っている。自分の手で野菜を育てる。自分の足で、行きたい場所へ行く。美智子と、いつかちゃんと京都の桜を見に行きたい。孫が生まれたなら、その小さな命を両腕でしっかりと抱きたい。そして——いつか、この六十年を、自分の言葉で残したい。誰かに読ませるためでも、立派に見せるためでもなく、私自身のために。平凡な、どこにでもあるような、それでも私が確かに歩いてきた道のりを、私の言葉で書き残せたなら、それで十分だと思っている。今こうして、その一歩を踏み出しながら、縁側の向こうに広がる青い空を、私はまたゆっくりと見上げている。

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